アナログ日記に秘められた文学性

前項でも指摘した通り、アナログ日記では「バッチ処理」的に1日単位で内容が記録されていきます。これにより、日記を書く場合はほぼ必然的に「一日の内容を文章に要約してまとめる」という能力が要求されます。しかし、この処理が加わる事により、ひとつの項目が書き手によって1日というまとまった単位で見渡され、その中に点在する細かな内容が重要度に応じてふるいにかけられるため、読む側*1としては必要な情報のみを容易に得る事が可能になります。このため古来より、「高度な編集(要約、推敲など)能力を持つ書き手」により書かれた日記には(書き手の意図は別として)「読み物としての面白さ」が加えられ、文学史上に残る「日記」というものも少なくありません。また、多くの小学校では、国語能力を養うため(多分)に「夏休みの絵日記」という宿題もあります*2。このように見ても、「1日1項目」という典型的な形式のアナログ日記では、「日々の記録」としての価値や閲覧性を高めるためには、高い国語能力が必要になります。

*1:普通は自分自身だけだよね。なので、それをわざわざ全世界に公開されるWeb日記に書く人は、ほんの僅かでも自己顕示欲が心のどっかにあるのではないかと<オマエモナ

*2:どこぞの魔法少女みたく、夏休みの終わり頃にまとめて書くという場合もあるようですが(笑